大原神社について

大原うぶやの里ホームページにも詳しく記載されています。

また、三和中学校地域調べでも取り上げられています。


安産の神 大原神社

 大原神社は福知山市三和町大原にあり、伊邪那美命(いざなみのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読命(つきよみのみこと)が祭神となっています。境内には、社殿(寛政8年(1796年)再建)、火神(ひのかみ)神社、水門(みなと)神社、絵馬殿などがあり、昭和59年(1984年)府指定文化財(建築物)に指定されており、境内及び後方の宮山も文化財環境保全地区に指定されています。

 大原神社は社伝によると仁寿2年(852年)桑田郡野々村(現南丹市美山町)より遷座されたとされています。古事記によると、伊邪那美命は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)とともに万物をつくった女神とされることから、安産と五穀豊穣の守り神として、古くから崇められてきました。なかでも、安産祈願の習俗としての子安砂(こやすのすな)は有名で、綾部藩を治めた九鬼(くき)氏は、奥方が身ごもった際、必ず大原神社に参拝したと言われています。さらに、遠く伊予宇和島藩から安産祈願の代参があり、子安砂を授かって無事出産後返却したという記録が江戸時代の文献にも残っており、その知名度の高さがうかがえます。

 そして、現在も、出産の無事と子どもが健康に育つことを願って、多くの人々が大原神社を訪れています。

 


絵馬殿

 本殿正面、一の階段を登りきった右手に建築された絵馬殿は、桁間八間、梁間五間で、更に六間三間の舞台を付けた茅葺きのもので文久3年(1863年)に再建されました。35面にものぼる絵馬が奉納されており、規模は大きさ、形からみても京都府下はもちろん、全国的にも珍しいものです。舞台では、文楽や狂言、芝居などが行われ、折々の庶民の娯楽や親睦の中心的な役割を果たしてきました。


水門の淵(おかまさん)

 その昔、大原神社の祭神伊邪那美命は、美山町樫原に鎮座していました。しかし、ある時、伊邪那美命は樫原の地から遷座と考え、天児屋根命(あめのこやねのみこと)に頼んで宮地を探してきてもらうことにしました。

 さて、天児屋根命が伊邪那美命の御神託を受けて、宮地を求めて丹波地方を歩き回っていると、大原にある白波のたつ水門の淵に行き着きました。天児屋根命が近づくと、水底より金色の鮭が忽然と姿を現しました。そして、「わたしは大原の地を治めている者です。この水門の淵に住み数千年にわたってこの山を守り続けてきました。この山の嶺には白和幣(にぎて)、青和幣があり、いつも光を放っています。実に伊邪那美命の鎮めなさるべき霊地ではありませんか。また、伊邪那美命は万物を胚胎して生み給う、大腸(おおはら)というのと同じ訓読みではありませんか」と、伊邪那美命が大原の地に鎮座するよう頼んだのです。天児屋根命は樫原に帰り、早速、伊邪那美命に大原へ遷座するよう勧めました。

 そこで伊邪那美命は、仁寿2年(852年)に美山町樫原の大原神社から黄色い牛に乗って御遷幸なさいました。そして水門の淵を通り過ぎる際、川辺の石の上に牛がひづめの跡を残したといわれています。また、大原神社内にある水門神社の祭神は、天児屋根命(春日大明神)となっています。


産屋

 産屋とは、産婦が家を離れて出産をする建物で、天地根元造の様式は国内でも唯一のものです。大正時代の初めまでは、妊婦が産気づくと夫がこの産屋に連れて行き、12把(うるう年は13把)の藁を持ち込んで、7日間籠もって出産したとのことです。産屋は入口が大原神社の方を向いていることから、産屋に籠もる産婦が大原さんの見守るなかで安産できるようにとの願いがこもっているとも言われています。現在、産屋に籠もって出産することはありませんが、郷土の風俗を象徴する建物として、昭和60年(1985年)に京都府指定有形民俗文化財に指定されています。