概要と歴史


〜ふるさとのルーツ拝見〜

『吾が古里のこぼれ話』1

 

菟原下村のこぼれ話をはじめましょう。語るのは私ではありません。下村のことならこの人に聞いたら何でも教えていただけた藤田岩雄さんです。

郷土史を調べる方法は色々あります。『三和町史』などの書籍を紐解くことはもちろん、私はできるだけ原本の古文書を読み直します。また、地元のことは地元に聞けと言われるように、古老の方に聞き取りをする方法。さらに、ひたすら現地を訪ねてまわるフィールドワーク等、やり方はさまざまです。

今から二十五年程前、三和町史の編纂がはじまった頃、当時編纂室にお勤めだった高見哲夫先生と当時の編纂委員さんたちと一緒に、三和地域全地区集落毎に、古老のみなさん(当時七十代後半から八十代後半ぐらいの方々)に公民館に寄っていただいてお話しを聞いてまわったことがあります。その成果は『三和町史』上巻の民俗編に収録されています。

残念ながらその頃お話しをうかがえたみなさんは物故されており、今となっては聞きようがありません。ただ、とってもありがたいことに、何人かの方は自らの記述を後世に伝えようと、小冊子にまとめられ刊行された方、自分の記録として出版はされなかったが、ご家族のご厚意でご提供いただいたものもあり、今日、村の歴史を知るときに大変貴重な資料になります。中出の長澤重十郎さんの『ほそみだに』や、今回紹介する藤田岩雄さんの『吾が古里のこぼれ話』などは、お手元にお持ちの方も多いのではないでしょうか。

『吾が古里のこぼれ話』は昭和五十三年に刊行された約五〇頁余りの小冊子です。冒頭に「菟原下の『こぼれ話』明治大正の人たちなら折にふれ祖父母からお聞き憶えがあると思います」とあるように、古くは江戸末期の記憶も含んでいるのではないでしょうか。構成は「一、菟原の庄と京都府のはじまり」「二、鹿倉山」「三、神社仏閣祭典の事」「四、今昔の道橋」「五、文化産業逸話について」「六、伝説と語りぐさ」「七、童うたと物価」の七章からなっています。

梅田神社の項目では、「八月二十一日の盆踊りは大変賑やかで福知山から夜店が十軒位い出張して古里帰りの人々と共に楽しい一日が毎年くり返されていました。十三年両橋架橋と共に森の中央に道路が出来、老木はかげを残すことなく伐採され、跡地に有志で松竹映画館が建築されたが、同期よりテレビが普及して数年にして閉鎖」になりました。映画館が菟原下にあったとは想像もつきません。その名も「文化会館」。菟原下の旧道沿道は、それはそれは賑やかだったのでしょう。ちなみに千束に「共栄会館」という映画館がありました。

道路の項目には橋の由来が紹介されています。両橋は「長さ五七米 巾六・六米 昭和十三年九月架設された当時は国道なるも現在は府道で近々町道に格下される模様、十三年以前は現菟原大橋下にあり山陰国道もこちらを廻っていた。弦橋(アーチ型)の土橋であった」。乗物では「自動車が大正九年始めて月の庄文サン自動車(二t車)営業され皆んな珍しがった」。自転車では「此の里へ購入されたのは大正八年ラージ号八吋(インチ)で、どの自転車も玄関又はエゲにギヤク転してかざるが如く他人に見せかけ大切にしていた」とあります。昭和二十七年ごろからオートバイが出はじめたとあります。自転車の見はじめは「大正四年十一月十四日大正天皇即位式祝典行事として自転車一〇〇台に色々の旗かざりをつけて国道を通過し見事でありよく上手に乗れたもんだと皆んな見物せり」とあります。 

 

                      (三和郷土史会会員 西村正芳)

 


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